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小樽ゆかりの作詞家、なかにし礼さん死去 歌碑や母校など今も地域住民に親しまれる

祝津にある「石狩挽歌」の歌碑

祝津にある「石狩挽歌」の歌碑

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 小樽ゆかりの作詞家・なかにし礼(なかにし・れい、本名=中西礼三)さんが12月23日、東京都内の病院で心筋梗塞のため82歳で死去した。

なかにし礼さんの通った旧手宮西小学校の周辺

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 所属事務所の公式プロフィールや自著「『家』の履歴書」によると、なかにしさんは1938(昭和13)年、中国黒龍江省牡丹江市生まれ。終戦を中国で迎えると、1946(昭和21)年に引き揚げ船で広島に帰港後、亡き父の実家がある小樽に移住。同年11月、旧小樽市立手宮西小学校に転校した。

 1947(昭和22)年には、実家の事業失敗などで、東京や青森の小学校に転校するが、短い小樽での生活はその後の作家活動に大きな影響を与え、「北酒場」(歌=細川たかし、曲=中村泰士)、「石狩挽歌」(歌=北原ミレイ、曲=浜圭介)など、小樽を舞台にした歌謡曲の作詞につながった。

 石狩湾と小樽港を臨む祝津岬にある旧青山別邸には、現在もなかにしさん直筆の「石狩挽歌」の歌碑があるほか、なかにしさんが過ごした手宮地区には、「なかにし礼さんと同じ小学校に通っていた」と話す人々が多く、地元ゆかりのスターとして親しまれていた。

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