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「小樽最後のハシケ」、市民らに見守られ解体進む

解体が進むハシケ

解体が進むハシケ

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 北運河で現在、長年展示されていた小樽に現存する最後の「艀(はしけ)」(以下、ハシケ)の撤去・解体作業が進められている。

小樽最後のハシケ、最後の朝

 8月17日には最後のハシケの姿を目に焼き付けようと多くの市民が運河を訪れた。小樽商科大学の高野宏康さんによると、同ハシケは、1969(昭和44)年建造、全長24メートル、幅8メートル。郵船海陸運輸(現在のノーススタートランスポート、小樽市港町)が1989(平成元)年、小樽市に寄贈し、2001(平成13)年に改修して北運河に展示していた。近年、船体の継ぎ目や穴から水が入り、一部が水没するなど老朽化が進んでいたため、市の職員が補修や応急処置を施すなどしてきたが、船体がさびついて安全性を確保できず、改修もできないことが分かり、維持管理困難と判断されたという。

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 ハシケは、小樽港の沖合に停泊した大型船と、運河沿いに並ぶ倉庫の間で荷物の橋渡しをしていた小型の台船。小樽港の流通が活発になるにつれ、荷物を山積みにしたハシケが数多く行き交うようになり、港湾労働者たちとともに小樽港の繁栄を支えた。その歴史は古く、大正3(1914)年、ハシケを停留させるために運河の造成を開始。運河が完成した翌年、1924(大正13)年に小樽港へ入港した船は6284隻で全国9位となり、595隻のハシケが運河内を行き交うなど隆盛を誇ったという。

 小樽港に大型船が直接接岸できるふ頭が整備された1950年代、ハシケは100隻以下に激減。1985(昭和60)年には4隻となり、1989(平成元)には業務用のハシケは姿を消した。ハシケの往来が少なくなるにつれ、小樽運河には土砂が堆積し、有機物の腐敗が進み、ヘドロにまみれになったという。

 高野さんは、「ハシケは、小樽の近代化や発展に大きな役割を果たした、小樽運河のシンボルといえる遺産。小樽運河を守る会の藤森茂男さんが、くい打ち工事が始まった時に描いた絵画『赤い運河』は、幾艘(そう)もの真っ赤に塗り込められたハシケが強烈な印象を放っている。ポート・フェスティバルでは、当時の若者たちがハシケの上でフォークコンサートやビアホールを行い、運河が文化の発信基地になることを示した」と話す。

 「解体を受け、私たちはハシケと小樽港、小樽運河の歴史を後世に伝えていかなければならない。解体後、廃材がどうなるか、具体的な予定は決まっていないようだが、一部でも保管して、将来的な活用につなげることを強く願う。小樽に残るさまざまな歴史遺産がこれ以上失われないよう、私たちは心を一つにして保存と活用に取り組んでいきたい」とも。

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